何のために勉強するの?~総集編~

今回は「勉強の目的」総集編です!
「何のために勉強するの?」というテーマに沿ってお伝えしてきたシリーズも今回が最終回です。
今回はこれまでの記事の「総集編」です!
この記事を通して勉強に対する新たな視点を持ってもらえたら嬉しく思います。
是非興味を持った章から読んでみてください!
目次
1.勉強の目的=社会で必要とされる人になるため
「必要とされる人になる」
私たちが考える勉強の本当の目的、それはズバリ「社会で必要とされる人になるため」です。
「必要とされる人」とは
「君がいてくれて助かった!」
「君のおかげだよ!ありがとう」
と言われるような人のことです。
大げさに聞こえるかもしれませんが、これが私たちが20年以上の指導歴を通して行き着いた「勉強の目的」です。
「いや、勉強ってテストのためにするんじゃないの?」
「受験のためにやるもんでしょ」
という声が聞こえてきそうですが、もちろんこのような考えも決して間違っているわけではありません。
テストのために勉強する子、受験のために勉強する子は実際多いですし、私も子供の頃はそう信じてやみませんでした。
しかし、「テストのためだけに勉強している子」や「受験のためだけにやっている子」はテストや受験が終わった後やらなくなってしまいます。
なぜなら目的が果たされたからです。
これが
「中間は良かったけど期末で下がっちゃった…」
「せっかく高校に進んだのに授業についていけなくなっちゃった…」
という現象が起こる原因です。
ですが当然「あなた」はそんな状況に陥るために今頑張っている訳ではありません。
では、テストや受験の位置付けとは一体何なのでしょうか。
実はテストも受験も「目的」ではなくあくまでも「目標」の一つなのです。

勉強と山登りはよく似ています
山登りを想像してみてください。
登山で目指すのは途中の山小屋ではなく山頂です。
しかし無事山頂に到達するには途中で山小屋に寄ってこれまでの道のりを振り返ったり今後の進路を確認したりすることが欠かせません。
これと同じように、テストや受験も「必要とされる人になる」という目的地に向けてどれだけ実力が身に付いたか、この方向で合っているかを確認するための場なのです。
つまり「テストや受験のために勉強がある」のではなく「勉強を続けるためにテストや受験がある」のです。
ここをはき違えてしまうと先ほど述べたような「燃え尽き」が生じてしまいます。
是非、テストや受験は通過点である・中継ポイントであること。そしてその先にある「必要とされる人になる」…これこそが勉強の本当の目的であることを忘れずにいてほしいと思います。
では、なぜ勉強することで「必要とされる人」になれるのでしょうか。
今やっている勉強に本当にそんな価値があるのでしょうか…詳しく見ていきましょう。
2.勉強で得られる3つの力
勉強で得られるのは知識だけじゃない!
私は子供の頃、
「こんな公式覚えたって将来使わないじゃん…」
「台形の面積求める場面とか普段の生活で無いし…」
「化学反応式なんか絶対役に立たないでしょ…」
と思っていました。
「あなた」はどうでしょうか。
もしかしたらこう考えている子は勉強がもたらしてくれるものの一部しか見ていないのかもしれません。
確かに勉強で得た「知識」はテストや受験で使うことはあっても日常生活で役立つことはほぼありません。
その証拠に家で両親が「一次方程式について話し合っている姿」を見たことのある子はいないでしょう。
しかし、だからといって「勉強ってやっぱり無駄なのか」というとそれは違います。
なぜなら勉強で得られるのは「知識」だけではないからです。
勉強を通して身に付く3つの力

勉強したことは姿形を変えて生活に役立っているのです
私たちはブロッコリーを100個食べたところで手足が緑色になることはありません。
食べたものは胃に取り込まれ、鉄分やミネラルといった栄養素に姿形を変えて体を動かすエネルギーとして使われます。
同様に、勉強したことは頭の中に取り込まれ「集中力」「思考力」「表現力」という3つの要素に姿形を変えて毎日の人生の中でちゃんと役に立っているのです。
1つずつ見ていきましょう。
【集中力】
集中力とは一つのことにエネルギーを注ぎ粘り強く続ける力のことです。
集中力が十分身に付いていないと1時間で終えられる仕事に3時間を費やしてしまったり、期日を過ぎて周りに迷惑をかけることになってしまいます。
【思考力】
思考力とは自ら考える力や相手の気持ちを想像する力のことを指します。
思考力が十分身に付いていないと自ら考えることができず指示待ち人間となってしまいます。もしくは相手の気持ちを推し量れず独りよがりな行動に走ってしまうかもしれません。小さい子供がなりふり構わず「ギャン泣き」するのはこの力がまだ不十分だからです。
【表現力】
表現力とは自分の気持ちや考えを相手に正確に伝える力です。
表現力が十分身に付いていないと上から目線の言い方になり相手に誤解を与えてしまったり、言いたいことがまとまらず「で、結局何が言いたいの?」と突っ込まれてしまうかもしれません。
これら3つの力を同時に伸ばせるもの、それが勉強なのです。
そしてこれらはいずれも「将来社会に出てから」ではなく、現在の生活の中でも既に役立っていることを忘れてはなりません。

これら3つの力を伸ばせるのが勉強です
例えば、あなたはなぜ同じ作業を2時間続けられるのでしょうか。それは勉強を通して「集中力」を身に付けてきたからです。
あなたはなぜ映画やドラマの登場人物に感情移入し、楽しむことができるのでしょうか。それは勉強を通して「思考力」を身に付けてきたからです。
あなたはなぜLINEやSNSを通して友達とコミュニケーションが取れるのでしょうか。それは勉強を通して「表現力」を身に付けてきたからです。
同じことを小学1年生の子がやろうとしても難しいでしょう。なぜなら、まだ勉強量が不十分だからです。
そう考えると、勉強という行為は単に知識だけを身に付けるための手段ではなく生活そのものを充実させる手段であることが分かります。
但し、ここで改めて強調しておきたいのは勉強はあくまで「手段」であるという点です。
手段とは道具のことです。
そして道具である以上、使い方を間違えると思わぬところで人を傷つけてしまったり自分自身を追い込んだりしてしまいます。
例えば「電気」という道具は今では欠かせない必需品ですが、正しく使わなければ火災を引き起こしてしまいます。
「ナイフ」という道具も正しく使えばとても役立ちますが、間違った使い方をすれば命を奪う凶器にもなり得ます。
では、勉強を道具の一種と捉えた時に、どうすれば正しく使えるのか、また、どうすれば誤った使い方になってしまうのか…次章で詳しく見ていきます。
3.勉強という道具の正しい使い方・間違った使い方

勉強で学んだことを世のため・人のために使ってほしい…これが私たちの願いです
勉強の正しい使い方
勉強の正しい使い方、それはズバリ「世のため・人のために使うこと」です。
「困り事を減らす」「困っている人の役に立つ」と言ってもいいでしょう。
例えば
・カラスがゴミ袋を破ってしまい中身が道路に散乱している光景
・拠り所がなく一人暮らしをせざるを得ない高齢者問題
・文化や考え方の異なる外国人との衝突
このような困り事が世の中には多く存在しています。これらに対し、
科学を勉強してカラスがつついても破れないゴミ袋を作ったり、
福祉・介護の勉強をして一人暮らしの高齢者をサポートしたり、
英語を勉強して外国人と自治体の橋渡し役を担ったりする。
このように「世のため・人のため」に使うことが勉強の正しい用途です。
「いや、なんで見ず知らずの人にそんなことしなきゃいけないの?」
「他人が困ってても私には関係ないんだけど」
「自分が良ければそれでいいじゃん」
と思う人もいるかもしれません。
しかし、それでもあなたには「困っている人を救うべき理由」がちゃんとあるのです。
それは、あなた自身もう既にたくさんの人に支えてもらっているからです。
あなたは「誰かが作ってくれた物」に囲まれて生活している

誰かがやってくれるおかげで私たちはご飯にありつけます
あなたが毎日食べているご飯や給食、今着ている服、お気に入りのペンやスマホ…
どれも世界のどこかで自分の代わりに誰かが作ってくれた物です。かくいう私もそういう物に囲まれて生活しています。
もしかしたら「これは1から全部自力で作った」と言える物など一つも無いのではないでしょうか。
「この棚は私が自分でDIYしました」と言ってもそこで使ったノコギリや釘やペンキはやはり誰かが作ってくれたものです。
それぐらい、人間は誰かの助けを必要としなければ生きていけない生き物なのです。
にもかかわらずその恩返しをしようとしない。
支えてもらうだけ支えられて自分は何もしない。
これはあまりに自己中心的な生き方ではないでしょうか。
もちろん最終的に自分の生き方を決めるのは自分自身です。しかし、私たちは塾生たちにそんな「自己中な人生」を歩んで欲しくはありません。
勉強で学んだことを誰かのために使える人になってもらいたい
これが私たちの願いです。
勉強の間違った使い方

人を傷つけることで自分自身が傷ついてしまいます
では反対に間違った使い方とはどんなものでしょうか。
それはズバリ「周りの人を傷つけてしまうこと」です。
例えば
・「え、何?そんなことも知らないの!?」と相手を見下すような言動をする
・「マウンティング」に走り自分の優位性を誇示する
・学歴自慢をする
・コミュニケーション能力を悪用して詐欺行為に及ぶ
等が挙げられます。
勉強というせっかくの便利な道具も、このような使い方をしてしまっては多くの人を傷つける凶器と化してしまいます。
日本にやって来る外国人に対して
「○○人は歴史的に見てこういう人種だから…」
「だから○○人が日本に来るのは嫌なんだよ…」
などとSNSに拡散する人がいますが、残念ながらこういう人たちは「歴史」という一つの側面だけを切り取ってその国やその国籍を持つ人全体を決め付けてしまっている視野の狭い人と言わざるを得ません。
せっかく苦労して身に付けた知識をそんな風に使ってしまうのはあまりにもったいない。
勉強を通して逆に視野を狭めてしまうなんて、こんな本末転倒なことはありません。
塾も道具の一種

塾も通うこと自体が目的ではありません!
さて、ここまで「勉強は道具の一種である」とお伝えしてきましたが、それと同様に「塾もまた道具の一種である」ことも忘れてはなりません。
塾も通うこと自体が目的ではなく、それを通して何を得られるかを考えることが大切です。
具体的には授業、講師、カリキュラム、教材、イベント、自習室…を利用して「自分の掲げた目標を達成すること」
これが塾を利用する目的です。
ですから、
「次のテストで80点取りたい!だから塾で文章題の解き方を教わろう」
「○○高校に受かりたい!そのために苦手な数学を質問しよう」
「スマホを触らないで集中できる環境で勉強したい!よし、自習室に行こう」
という意識を生徒たちには持ち続けてもらいたいですし、そうなるように私たちも日々働きかけています。
逆に、
「塾で教えてくれるから学校の授業はテキトーに受けてても大丈夫だ」
「塾に通ってさえいれば成績は上がるだろう」
「受験生なんだから塾に通うのは当然でしょ」
という考えではかえってマイナスの効果になってしまうことを忘れないでください。
ジムに入会しただけで筋肉はムキムキになりません。
同じように、塾に入っただけでは残念ながら成績は上がらないのです。
もちろん目標達成に向けてのサポートは全力でしていきます。しかしそれをどこまで有効活用できるかは結局のところ自分次第なのです。
これはどの塾に行ったとしても、家庭教師を雇ったとしても、通信教材を取り寄せたとしても変わらない普遍の事実です。
塾は道具の一種であること・どう使うかは自分次第であることを忘れずにいてほしいと思います。
4.勉強に対する思い込み
これまでの内容を通して
「勉強ってテストのためだけじゃなかったんだ」
「勉強を道具の一種と考えたことはなかった」
そんな新たな発見を掴んでもらえたら嬉しく思います。
もしかしたら、あなたは今まで勉強を教わることはあっても「勉強の目的」について教わったことはほぼなかったのではないでしょうか。
私もそうでした。
「何のために勉強するの?」と聞いても返ってくるのは
「皆やってるから」や
「そういうものなの」とか
「あなたのためなのよ」などどれも釈然としないものばかり。
きっと私の周りの大人たちもよく分かっていなかったのでしょう。
しかしここをあやふやなままにしておくと無目的の状態で勉強を続けることになり、結果的に「テストや受験が終わったら勉強終わり」「勉強したことなんか普段の生活で役に立たない」といった「思い込み」に繋がってしまいます。
そうなることを少しでも防ぎたい。
勉強の本当の目的と素晴らしさを伝えて、勉強に対するモヤモヤが晴れてほしい。
そんな思いで書き始めたのがこのブログです。
最後の章でお伝えするのは、そんな「思い込み」の中で最たるものと言っても過言ではない
「成績の良し悪しは才能や生まれつきで決まる」
についてアップステーションの考えを示していきます。
成績の良し悪しは才能や生まれつきでは決まらない

成績は才能や生まれつきでは決まりません!
「あいつの家は兄弟もみんな成績優秀だからな…」
「あいつは小学生の頃からもともと頭が良かったからな…」
「あいつは勉強の才能があるからな…」
「あいつは親が医者だからな…」
「だから成績が良いのは当然だ。それに比べて自分は…」
かつての私は特にテストが返された後によくこんなことをぼやいていました。
自分なりに頑張ったのに思うような結果が出なかった。そのやるせなさを外にぶつけていたのですね。
しかし、今でははっきりこう言えます。
「成績は才能や生まれつきで決まる」は根も葉もない迷信であると。
もしこれが事実であれば、
小学校のカラーテストで100点を取っていた子全員が中学に上がっても100点を取り続けることになります。
お兄ちゃんが学年順位10番以内だったら弟も必ず10番以内にいなければなりません。
ですが実際はそんなことありません。
中学生になってからの方が良い点数を取れるようになった子
内容が難しくなってからの方が勉強を好きになった子
家系や親の職業に関係なく良い成績をキープしている子
もたくさんいます。
何を隠そう私たち自身がこれまで20年に渡りそういう子たちを間近で見て指導してきました。
その私たちが言うのだから間違いありません。
では、成績を左右するものとは一体何なのか…?
それはズバリ、「経験の差」です。
成績は経験の表れ

ピアノ、スポーツ、勉強…結果を左右するのは経験の差です
ここにA君とBさんという2人の中学生がいます。
A君はこれまでピアノを弾いたことがない初心者で、Bさんはピアノ歴5年の経験者です。
ある日2人は音楽の先生から「2週間後にこの曲を発表してもらいますので練習してきてください」と同じ課題曲を渡されました
2人はそれぞれ練習し、2週間後に本番を迎えました。
当日A君は何度もつまずき、最後まで弾くことができませんでした。
一方Bさんは難なくクリアし見事演奏し終えました。
さて、この2人の明暗は才能や生まれつきによるものでしょうか?
そうではありません。「経験の差」がはっきりと表れただけなのです。
それなのに、
「いいよな~Bさんはピアノの才能があって」とか
「俺はもともとピアノ向いてないんだよな~」やら
「音楽はセンスだからな~」と言われたらBさんはどう思うでしょうか。
いやいやいやいや!と。
どんだけ経験積んできたと思ってんねん!と。
こちとら5年も弾いとんねん!週2でレッスン受けとんねん!と。
心の中で総ツッコミを入れるはずです。
「私が弾けたのは今までの積み重ねがあったからだよ」
「A君も練習さえすれば弾けるようになるんだよ」
そう言いたくなるはずです。
勉強も全く同じです。
こと勉強に関してはその裏側にある努力や練習といった側面がスルーされがちですが、ここで断言します。
成績優秀者と呼ばれる子や成績アップを果たした子は皆「見えない努力」をどこかで必ずしています!
知らないところでコツコツコツコツ…地道な練習を必ず積み重ねています!
あなたがテレビを見ている時間、動画を眺めている時間、スマホをポチポチしている時間を使って「彼ら」は頭と手を動かしていて、その差が成績という形で表れているだけなのです。
そう考えると、
成績を上げるのは決して不可能なことではない。
何か特別な能力や才能が必要なわけではない。
自分にもできるかもしれないと思えるのではないでしょうか。
その努力ができないんだよ…と思うかもしれませんが、そこは私たちの出番です。
自分一人の力では続けるのが難しいのであれば私たちがお手伝いします。
目標がまだ定まっていないのであれば一緒に考えましょう。
ご家庭でご協力していただきたいこと

成績アップにはご家庭の協力も欠かせません
「成績は才能や生まれつきで決まらない」
これはご両親、ご兄弟(姉妹)、ご家族皆でぜひ共有してもらいたい考えです。
私たち大人も、意識していなければ
「あの子はもともと頭が良いからね」
「あの子の家はお兄ちゃんもお姉ちゃんも皆優秀だったからね」
「あの子のお父さんは東大を出てるみたいだからね」
こんなことをつい本人に伝えてしまいます。
しかしこれらは冗談でも決して言ってはいけない「禁句」だと私たちは考えます。
もちろん本人を励ますつもりで、フォローする意味で、あるいは結果が出なかった時の保険として…「良かれと思って」やっていることです。
しかし言われた本人はどう思うでしょう。
「才能だから仕方ない」と言われたらその子はもうそれ以上頑張れなくなってしまいます。
そして
「もっと頭の良い子に生まれたかった…」
「兄弟がもっと優秀だったら自分も違ったのに…」
と自分の置かれた環境を嘆くことになるかもしれません。
こうしてできたのが「親ガチャ」のような悲しい言葉です。
もちろん、思うように成績が上がらなかった時、頑張っても中々結果が出ない時、誰しもがその原因を外にぶつけたくなります。
「うまくいかないのは○○のせいだ」の○○に入る何かを必死で探してしまうのです。
しかしそうしたところで一時の納得感・爽快感は得られても状況が改善されることはありません。
サッカーの試合で負けてしまった時、「シュートが入らなかったのはゴールポストのせいだ。ゴールがもっと大きければ入ってたのに」と嘆いても仕方がないのと同じです。
そんな時はぜひこの記事を思い出し、
「どうすれば挽回できるか」
「次のテストに向けてやるべきことはなにか」
「どんな練習や経験を積めばこの状況から抜け出せるか」
を考え、自分の力で変えられるものに時間とエネルギーを注いでいってほしいと思います。
「自分の力で変えられるものに集中する」
これこそが現状を打開できる唯一の策です。
次のテストに向けて、まだまだチャンスは開かれています。
できることから始めていきましょう!
【過去の記事はこちらから】
~まとめ~ ・勉強の本当の目的は「社会で必要とされる人」になるため ・受験やテストは目的ではなく目標の一つ ・勉強を通して知識だけでなく集中力・思考力・表現力の3つの力が身に付く ・勉強の正しい使い方は「世のため・人のために使うこと」、間違った使い方は「人を傷つけるために使うこと」 ・成績を左右するのは才能や生まれつきではなく経験である |