何のために勉強するの?#1~勉強の本当の目的~
誰でも一度は考えたことがあるけれど、コレといった答えを教わったことのないものナンバーワンが
「何のために勉強するの?」
という問いではないでしょうか。
友達にきいても親にきいても先生にきいても明確な答えは返ってこない。
何のためにやるのかがいまいちよく分からない…
でも皆がやってるから何となくやらなきゃいけない…
きっと、「あなた」の周りの大人たちもそうやって育ってきたのだと思います。
もちろん勉強の目的は多岐に渡ります。人それぞれ異なる意見を持っているかもしれませんし、一言でまとめるのは難しい問題でもあります。
しかし、だからといってここを曖昧なままにしておくと「何のためにやっているか分からない行為」を毎日やらされることになってしまいます。こんな苦痛なこと・退屈なことはありません。
そこで、アップステーションではこのブログを通して「勉強の目的」を連載していくことにしました。
日々勉強に臨む「あなた」のモヤモヤが晴れて、勉強に対する意識が変わるきっかけになれば嬉しく思います。
勉強の目的=将来社会で必要とされる人になるため
アップステーションが考える「勉強の目的」とはズバリ、
「将来社会で必要とされる人になるため」です。
……意外とフツーな答えで拍子抜けしましたか?
でもこれが、私たちが20年の指導歴を経てたどり着いた答えです。
では、
「必要とされる人」とはどんな人でしょうか?
それは、
「君がいてくれて助かった!」
「君の力が必要だ!」
「君のおかげだよ、ありがとう!」
と周りから言われる人のことです。
逆に、
「いてもいなくても変わらない」
「出勤はしているけれど仕事を任せてもらえない」
「社内ニート※と呼ばれる人になってしまう」
こんな人生を生徒たちには歩んでほしくありません。
※社内ニート…就職して会社に出勤しているものの仕事を任せてもらえず、勤務時間のほとんどを何もせず過ごしている人たち。現在日本全国に450万人もいると言われており社会問題の一つとなっている。450万人という数字は全雇用者の約8%に上り、四国地方4県の人口を上回る数である。
塾生たちが将来どんな仕事に就くのか、もしくは就かないのかは誰にも言い当てることはできません。
しかし確実に言えるのは、どんな道に進んだとしても「周囲の人との人間関係は避けて通れない」ということです。
この世の中で誰とも関わらずずっと一人で生きていくことはできません。
好む・好まざるに関わらず、私たちは皆他者との関わりの中で暮らしています。
であれば、「他者から必要とされる人」「周りの人を助けられる人」の方が円滑な人生を送ることができるはずです。
実は「勉強」という行為は、そういう人になるための一つの手段なのです。
テストや受験は目的ではなく目標
ところで、「目的」という言葉にはどんな意味があるのでしょうか。
目的とは「○○のため△△する」の○○に入る言葉です。
例えば
「お腹いっぱいになるためご飯を食べる」
「学校に行くためバスに乗る」 など。
ではここに、テストや受験という言葉を入れてみましょう。
「テストで良い点を取るため勉強する」
「受験で合格するため勉強する」
一見何の問題も無さそうな文です。
実際生徒たちに「勉強の目的って何だと思う?」と尋ねると「テストのため」「受験のため」という回答が大半を占めますし、
何を隠そう私自身子供の頃そう思っていました。
ところが、「目的」という言葉にはもう一つの定義があります。
それは「達成されたらやらなくなる」ということ。
私たちは空腹が満たされたらご飯を食べるのをやめます。
学校に到着したのにそのままバスに乗り続けることもありません。
なぜなら、目的が果たされたからです。
同様に、「テストのために勉強する人」はテストが終わったら勉強しなくなります。
「受験のために勉強する人」は合格したら勉強しなくなってしまいます。
なぜなら目的が果たされたから…これがいわゆる「燃え尽き」というやつです。
その結果、「中間は良かったのに期末で下がっちゃった…」というケースや
せっかく苦労して合格を掴み取ったのに授業についていけず下の方の順位をウロウロ…
なんてことが起こり得ます。
ですが、「あなた」はそんな事態に陥るために今テスト勉強や受験勉強を頑張っているのではないはずです。
では、テストや受験とは一体何なのか?
実はこれらは目的ではなく「目標」なのです。
目標とは「目的を達成するための道しるべ・中継地点」です。
ここで「山小屋」を思い浮かべてください。
富士山に登る時、山の麓(ふもと)からノンストップあるいはノープランで山頂に行くことは不可能です。
無事頂上にたどり着くには途中で山小屋に立ち寄り、地図を広げ、正しいルートで登れているか、次の山小屋までどう登るべきか…と振り返る場が不可欠です。
これがまさにテストや受験の位置付けです。
テストや受験という中継地点を通過することで、私たちはこれまで勉強してきたことを復習し、反省点や今後の道筋を明確にすることができます。
こう考えると、
テストや受験のために勉強があるのではなく、
勉強を続けるためにテストや受験がある
ということが分かります。
山登りで山小屋を最終的なゴールにする人はいませんね。あくまでもゴールは山頂であり、山登りという行為を続けるために山小屋がある。この関係とよく似ています。
では、勉強におけるゴールとは一体どこなのか…
それが先に述べた「社会で必要とされる人になること」なのです。
「必要とされる人になる」
先ほど、「目的は達成されたらやらなくなる」という話をしました。
ところが、勉強の目的である「必要とされる人になる」には終わりがありません。
なぜなら、人間は誰かに必要とされるとどんどん嬉しくなり、「もっと役に立ちたい!」「もっと助けてあげたい!」「もっとこの嬉しさを味わいたい!」と思わずにはいられなくなるからです。
例えば親の手伝いをした時、重い荷物を持ってあげた時、席を譲った時…
「ありがとう」「助かったよ」と言われて何だか嬉しい気持ちになった経験があなたにもあるのではないでしょうか。
その時、「次もまた同じことをしてあげたいな」「今度はああやって喜ばせよう」と思ったはずです。
私たち人間にはもともと「他者に貢献すると幸せを感じる」という機能が備わっています(これを専門用語で共同体感覚と言います)。
そしてこの感覚には終わりがなく、食欲や睡眠欲のように次から次へとどんどん湧き出てくるものだと言われています。
言わば頂上のない山・登れば登るほど景色が良くなる山に登っているようなものです。
「必要とされる人になる」はどこまでも磨き続けることができるのです。
世界中のお金持ちの人たちはなぜお金持ちになった今でも仕事を続けているのでしょうか?
Amazonの創設者ジェフ・ベゾスさん、Softbankの生みの親である孫正義さん、皆バリバリ働いてます。
働かなくても生活できる財産をもう十分過ぎるほど持ってるはずなのに…
それは、この「共同体感覚」を味わうため、つまり「俺って人の役に立ってるな~」「私って多くの人を助けてるよね~」という実感を得たいからだと私は考えます。
アップステーションで働く講師の中にも「中学生の頃友達に勉強を教えてありがとうって言われたのが嬉しくて…それで塾講師をやろうと思いました」という方が少なくありません。
少し話が逸れますが、私はこうやって「人の役に立った」「ありがとうと言われた」という経験をたくさん味わえる人生こそが、本当の意味での幸せな人生・豊かな人生だと思います。
勉強は、そんな人生を切り開いていく道具なのです。
どうでしょう。
ここまで読み進めて「勉強」というものに対する考え方が少し変わってきたでしょうか。
でもまだ半信半疑ですよね。
「今やってる数学とか英語とかワークとかに本当にそんな効果があるのかな?」と。
そこで、次回はそんな疑問が晴れるよう「なぜ勉強は人生を豊かにするのか~勉強を通して身に付く力~」というテーマをお届けしたいと思います。
次回もお楽しみに!
~今回のまとめ~ ・勉強の目的=将来社会で必要とされる人になるため。 ・テストや受験は勉強の目的ではなく目標(道しるべ・中継地点)である。 ・勉強は幸せな人生・豊かな人生を切り開いていく道具である。 |