何のために勉強するの?#3~勉強の正しい使い方・間違った使い方~
今回のテーマは「勉強という道具の正しい使い方・間違った使い方」です。
勉強は「将来社会で必要とされる人になるため」「人生を豊かにする3つの力を身に付けるため」の道具であることを前回・前々回の記事で紹介しました。
ただし、「道具」である以上使い方を誤ると自分自身のみならず周りの多くの人を傷つけることにもなりかねません。
例えば「電気」という道具は今では欠かせない必需品ですが、正しく使わなければ火災を引き起こしてしまいます。
「ナイフ」という道具も正しく使えばとても役立ちますが、間違った使い方をすれば命を奪う凶器にもなり得ます。
ドラえもんの秘密道具も、のび太君が私利私欲のために使った結果最後は痛い目に遭う…というのがお約束です。
では、勉強という道具の正しい使い方・間違った使い方とは一体どのようなものなのでしょうか。詳しく見ていきましょう。
勉強という道具の「正しい使い方」
勉強の正しい使い方…それはズバリ「世のため・人のために使うこと」です。
キレイごとのように聞こえるかもしれませんが、突き詰めると最終的にこの結論にたどり着く、というのが私たちの見解です。
別の言葉で表すと「世の中の困り事を解消すること」「自分以外の誰かを喜ばせること」とも言えるでしょう。
使い古された言葉ではありますがこれは紛れもない真理です。
では私たちの身の周りにはどんな「困り事」があるのか、一緒に考えていきましょう。
世の中には「困り事」がたくさんある!
「あなた」はこの1週間、どんな「困り事」や「困っている人」に遭遇したでしょうか。
思いつくものをいくつか挙げてみましょう。
・通勤ラッシュ時の満員電車
・カラスがゴミ袋を破ってしまい中身が道路に散乱している光景
・体は健康なのに心を病んでしまい働けなくなった方
・拠り所がなく一人暮らしをせざるを得ない高齢者
・寒い中飲食店の前で震えながら行列に並ぶ人
・スマホの充電が切れてしまいナビが使えなくなってしまった
・まだ小さい赤ちゃんを抱っこしながら大量の買い物をしなければいけない親御さん
・文化や考え方の異なる外国人との衝突
・家の中だと集中して勉強ができない
…等々、数え上げたらきりがありません。
世の中がどんどん便利になっていく一方で、新たな困り事もどんどん生まれています。
例えばスマホがなかった時代はSNSでの誹謗中傷など存在しませんでした。
自動車がなかった時代には排気ガスや交通事故もやはり存在しなかったのです。
このような「困り事」に直面している人たちに向け、役に立つ商品を作ったりサービスを提供したり携わったりすること。
それこそが勉強の正しい使い道なのです。
例えば科学を勉強してカラスがつついても破れないゴミ袋を作ったり、
脳科学や心理学の勉強をしてストレスで心を病まないためのプログラムを開発したり、
保育の勉強をして一時預かりサービスや買い物代行サービスに携わったり、
福祉・介護の勉強をして一人暮らしの高齢者をサポートしたり、
英語を勉強して外国人と自治体の橋渡し役を担ったり…
現在中学生・高校生である塾生たちは、今はまだ誰も救うことができないかもしれません。
しかし、将来「困っている人」の役に立ち、まだ見ぬ多くの人の力になるため「あなた」は今勉強しているのです。
例えば「あなた」が今後様々な知識や能力を身に付け、将来1000人の人を救える仕事に就いたとしましょう。
しかしもし途中で勉強を怠りその仕事に就くのを断念してしまったら、救えるはずだった1000人の人は不便な生活を強いられたままになってしまいます。
「何で見ず知らずの人にそんなことしなきゃいけないの?」
「自分以外の誰かがどうなろうと自分の知ったこっちゃないんだけど」
と思うかもしれません。
しかし、それでもあなたには「世の中の人を救うべき理由」がちゃんとあるのです。
それは…
あなた自身もう既にたくさんの人に支えてもらっているからです。
私たちは「誰かが作ってくれた物」に囲まれて生活している
例えばあなたが毎日食べているご飯や給食、今着ている服、お気に入りのペンやスマホ…
どれも世界のどこかで自分の代わりに誰かが作ってくれた物です。
かくいう私もそういう物に囲まれながら日々生活しています。
もしかしたら「これは1から全部自力で作った」と言える物など一つも無いのではないでしょうか。
最近DIYがブームですが、そこで使用するノコギリや定規や釘にしたってやはり誰かが作ってくれた物なのです。
もしそういう人たちの存在がなければ私たちは鉛筆1本すら自力で作ることができません。
それぐらい、人間は誰かの助けを必要としなければ生きていけない生き物なのです。
その対価として支払うのがお金です。
「お金を払うことで自分にはできないことを代わりにやってもらう」
これがこの世の中の仕組みの一つです。
ですから、「あなた」も将来誰かができないことを代わりにやってあげられる存在になり、その対価としてしっかりと報酬をもらえるようになってほしいのです。
今自分がそうしてもらっているように、今度は「あなた」が誰かの役に立つ番なのです。
にもかかわらずその恩返しをしようとしない。
支えてもらうだけ支えられて自分は何もしない。
これはあまりに自己中心的な生き方ではないでしょうか。
もちろん最終的に自分の生き方を決めるのは自分自身です。しかし、私たちは塾生たちにそんな「自己中な人生」を歩んで欲しくはありません。
以上のように、
「勉強で学んだことを世のため・人のために使うこと」
「自分以外の誰かを喜ばせるために使うこと」
これがアップステーションの考える勉強の正しい使い方です。
勉強という道具の「間違った使い方」
では反対に間違った使い方とは何なのでしょうか。
それはズバリ「周りの人を傷つけてしまうこと」です。
例えば…
・「え、何?そんなことも知らないの!?」と相手を見下すような言動をする
・「マウント」「マウンティング」に走り自分の優位性を誇示する
・ミスをした人に対して長時間説教したり皆の前で必要以上に責め立てたりする
・学歴自慢をする
・わざと難しい言葉を使って自分の優秀さをひけらかす
・コミュニケーション能力を悪用して詐欺行為に及ぶ
・他国の歴史を勉強することでその国の人を一方的に嫌う
…等が挙げられます。
勉強というせっかくの便利な道具も、このような使い方をしてしまっては多くの人を傷つける凶器と化してしまいます。
例えば日本にやって来る外国人に対して
「○○人は歴史的に見てこういう人種だから…」
とか
「だから○○人が日本に来るのは嫌なんだよ…」
などとSNSに拡散する人がいますが、残念ながらこういう人たちは「歴史」という一つの側面だけを切り取ってその国やその国籍を持つ人全体を決め付けてしまっている視野の狭い人と言わざるを得ません。
せっかく苦労して身に付けた知識をそんな風に使ってしまうのはあまりにもったいない。
勉強を通して逆に視野を狭めてしまうなんて、こんな本末転倒なことはありません。
以上のように、
身に付けた知識や能力を用いて「周りの人を傷つけてしまうこと」
これがアップステーションの考える勉強の間違った使い方です。
「塾」も道具の一種
さて、ここまで勉強の正しい使い方・間違った使い方について見てきましたが、最後に「あなた」にお伝えしたいことがあります。
それは「塾」も道具の一種であるということです。
勉強はそれ自体が目的ではないのと同様に、塾も通うこと自体が目的ではありません。
塾の授業、講師、カリキュラム、教材、イベント、自習室…これらを利用して「自分の掲げた目標を達成すること」
これが塾を利用する目的です。
ですから、
「次のテストで80点取りたい!だから塾で文章題の解き方を教わろう」
「○○高校に受かりたい!そのために苦手な数学を質問しよう」
「スマホを触らないで集中できる環境で勉強したい!よし、自習室に行こう」
という意識を生徒たちには持ち続けてもらいたいですし、そうなるように私たちも日々働きかけています。
逆に、
「塾で教えてくれるから学校の授業はテキトーに受けてても大丈夫」
「塾に通ってさえいれば成績は上がるだろう」
「受験生なんだから塾に通うのは当然でしょ」
…これではかえって逆効果になってしまうことを忘れないでください。
なぜなら実際にテストを解くのも受験に臨むのも、他ならぬ「あなた自身」だからです。
ジムに入会しただけで筋肉はムキムキにならないのと同様に、
塾に入っただけでは残念ながら成績は上がりません。
もちろん塾という道具の正しい使い方や目標達成に向けてのサポートは全力でしていきます。しかしそれをどこまで有効活用できるかは結局のところ自分次第なのです。
これはどの塾に行ったとしても、家庭教師を雇ったとしても、通信教材を取り寄せたとしても変わらない普遍の事実です。
この事実を踏まえた上で、ぜひ思う存分アップステーションという道具を利用してくださいね!
次回は「勉強に対する思い込み」をテーマにお伝えしていきます。
次回もお楽しみに!
~今回のまとめ~ ・勉強は道具の一種。正しく使えば便利なものになるが使い方を誤ると凶器にもなる ・勉強の正しい使い方は「世のため・人のために使うこと」「自分以外の誰かを喜ばせるために使うこと」 ・勉強の間違った使い方はマウンティングや学歴自慢に走り「周りの人を傷つけてしまうこと」 ・塾も道具の一種。塾に通うこと自体が目的ではなく、自分の目標を達成するための道具と捉えることが大切。 |