責任者紹介~塾の仕事を始めたきっかけ~

プロフィール
■昭和61年12月27日 東京都武蔵野市生まれ
■小4~高2までの約7年間を南米のペルーで過ごす。中学校までは日本人学校に通い、高校からは首都リマの現地校へ進学
■帰国後、埼玉大学教養学部に入学。中学・高校教員免許(英語)を取得
■学生時代アップステーションの講師に応募し、戸田公園校講師として配属
■講師経験を経て戸田公園校塾長に就任
■現在は統括責任者として主にスタッフ研修・イベントの企画・広報等に従事
■趣味:ギター・バスケットボール・サッカー・文を書くこと・読書

 

在住していた【ペルー共和国(首都・リマ)
・インカの遺跡やナスカの地上絵等の世界遺産が有名
・日本からの距離およそ15,000km(飛行機で20時間)
・日本との時差およそ14時間

 

■ペルーの現地校で実感した「勉強の持つ力」

 私は小中高の8年間、地球の裏側にある南米の「ペルー」という国で過ごしました。中学校時代までは日本人学校に通い、高校からは首都リマにある現地校に進学しました。全校生徒2000人のうち日本人はただ一人という「完全アウェー」な環境でしたが、そこである大事なことを学びました。それは、勉強には人生を切り開く力があるということです。

 ペルーの母国語はスペイン語です。中3の時、私は現地校への進学に備えスペイン語の勉強をしていました。自分なりにある程度話せるようになったつもりでいましたが、進学してから間もなく言葉の壁に直面しました。授業の内容は全く分からず、教えてもらいたくてもどうやって助けを求めれば良いか分からず、休み時間はポツンと一人で友達もできない孤独な日々が続きましたのをよく覚えています。

しかしそんな私を救ってくれたのが、大嫌いだった「数学」でした。言葉は違えど数字は万国共通です。今の状況を打開するのはこれしかない!…そう思い立ち、それから数学の勉強に打ち込んだのです。すると次第に周りの見る目が変わり、テスト前には「教えてくれ」と私を頼りにしてくれる子も出てくるようになりました。程なくして「あの日本人に聞けば数学を教えてくれるみたいだぞ」という噂が他のクラスにまで広がりました。その時に感じた何とも言えない嬉しさと安堵感は今でも忘れられません。勉強の力によって自分の生活が変わったのを実感した瞬間でした。これがきっかけとなって少しずつ学校への足取りも軽くなり、今思えば現地校で過ごした2年間は私にとって何事にも替え難い大きな財産となりました。

■子どもたちに与えたい自身と成功体験

 今、当時の私のように学校への足取りが重く、「いつ指されるんだろう…」とビクビクしながら授業を受け成績不振に悩んでいる子は決して少なくありません。私はそのような子に寄り添い、自信と成功体験を与えたいと思い塾の仕事を始めました。

不登校や登校拒否の最大の原因は今も昔も変わらず「成績不振」です。「授業で何を言っているのか分からない。分からないからやる気が出ない」そんな状態で1日6時間も授業を受けているのは苦痛でしかありません。しかし、もし授業が分かるようになったら、テスト前には自分を頼りにしてくれる子が出てきたら、そしてテストの点数が前回よりも上がったら、それは学校生活をガラリと変える原動力になります。

但しそのためには1つだけ、絶対に忘れてはならないことがあります。それは「一番頑張らなきゃいけないのは自分自身」だということです。

私達は魔法使いでもなければ頭が良くなる薬を売っているわけでもありません。テストを受けるのも受験に挑むのも、こればかりは本人が自分の力でやらなければいけないことです。だからこそ、アップステーションでは最初の面談の時に必ず「塾に通うだけでは残念ながら成績は上がらないよ。一番頑張らなきゃいけないのは自分自身だよ」という話をしています。それは決して楽な道のりではありません。しかし、苦労の果てに掴んだ成果は人生の大きな財産になることを私は信じてやみません。

この考えを忘れることなく、私たちは今日も生徒一人ひとりと向き合い、結果に繋がる授業を行っています。