オリンピック名場面に見る2つの学び

  お盆休暇を経て、本日16日(月)より通常運営が再開しました!夏期講習後半戦も一日一日全力投球で過ごしていきます!

 

 さて、今月の8日(日)に閉会式を迎えた東京オリンピック。異例づくしの中での開催でしたが、朝起きてテレビをつけるとトップアスリートたちのガチンコ勝負が見られた日々はきっと多くの人に勇気と感動をもたらしたのではないでしょうか。

 

 私たちも「今日は誰がメダル獲ったかな」「今度の週末はこの競技を見たいな」と毎日胸を躍らせていました。柔道の大野選手が見事2連覇を決めた直後のインタビューで、「賛否両論のある大会なのは十分理解していますが、それでも私たちの姿を見て何かを感じ取ってくだされば光栄です」と話していたのが印象的でした。この言葉にこそ“TOKYO2020”の意義が集約されているような気がします。

 

 そんな多くの名場面が生まれた東京オリンピック。勉強とは直接関係ないかもしれませんが、今回のブログでは世界最大のスポーツイベントを振り返り、アップステーション的名場面を3つご紹介したいと思います!

 

【アップステーション的名場面 その1】

新競技スケボー~ニュートラルな視点の大切さ~

 おそらく今大会で一気にブームを巻き起こした競技が「スケボー」ではないでしょうか。私も大会前は「え、スケボーなんかがあるの?」という程度の認識でしたが(スケボーファンの方ごめんなさい)、終わる頃にはすっかりその魅力にとりつかれてしまいました。日本の選手も海外の選手もそして解説の方も(笑)終始最高にカッコ良かったです!

 「スケボーなんかが?」と思っていたのはやはり「ガラが悪い」「近寄りがたい」という勝手なイメージが自分の中にあったからです。実際、スケボーをやる人の中には(他のスポーツと同様)周囲に迷惑を及ぼしている人や自由とワガママをはき違えているような人もいるでしょう。しかしそれはあくまでも「一部」であり「全部」ではありません。

 スケボーに限らず、私たちはえてして「一部」を見ただけでそれが「全部」だと判断してしまうことがあります。例えば「怒りっぽい人=短気」と判断したり「おしゃべりな人=社交的」と決めつけたり。しかし物事には「別の一部」が必ず存在し、むしろそっちの方が本質的な姿であることや、自分が今まで正しいと思っていた方が実は少数派だったということも決して少なくありません。スケボーという競技を通して、選手たちは偏った考えに陥らず中立的な目線・ニュートラルな考え方を持つことの大切さを教えてくれたような気がしました。

 

【アップステーション的名場面 その2】

卓球混合ダブルス~7点差からの逆転劇に見る今・ココ意識~

 今大会のベストシーンとして多くのメディアも取り上げているのが卓球の混合ダブルス、水谷選手と伊藤選手の金メダルです。中でも準々決勝のドイツ戦、最終ゲーム2対9からの大逆転劇はまさに鳥肌モノでした。後のインタビューで水谷選手は当時のことを次のように振り返っています。

「最終ゲームで7点差をひっくり返した試合は今までやったこともなければ見たこともありません。確率的には数千回、数万回に1回ぐらいだと思います。だからこそあの時はもう結果は気にせず、“目の前の一球”に集中することだけを考えていました。この一球を取る。この一球を相手コートに打ち返す。それを続けていたら気付いたらいつの間にか勝っていました。」

 

 このメンタル・心の持ちようはテスト勉強や受験勉強に励む子供たちにも通ずるものがあると感じました。試合結果と同じくテストの点数や受験の合否も先の結果であり、まだ起きていない未来の出来事です。もちろん「こうなりたい」という目標を持つことはとても大事なことですが、「未来」のことばかりに意識が傾き「今」が疎かになってしまっては本末転倒です。

 「アドラー心理学」を世に広めたオーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーは、「過去を気にし過ぎれば後悔が生まれ、未来を気にし過ぎると不安が生まれる」という言葉を残しています。水谷選手・伊藤選手の両名は7点もの大差を付けられた過去は振り返らず、もしかしたら負けるかも…という未来も切り離し、今、ここ、この一球に全力を注いだからこそ最高の勝利を掴むことができたのだと思います。

 テストの結果や受験の合否も、今日臨む1回の授業、今開いたワークの1ページ、今解いているこの1問…そういった一瞬一瞬の積み重ねでできています。私たちも引き続き「一問入魂」を忘れず、今・ココに全力を注いでいこうと思います。

 

【番外編】

オリハラという言葉に思うこと

 パワハラ・セクハラ・モラハラ…「○○ハラ」シリーズの新語として(以前からあったのかも?)登場したのが「オリンピック・ハラスメント」略して「オリハラ」です。オリンピックを見ていない人、オリンピックにそこまで関心のない人に対して「オリンピック見てる!?当然見てるよね!?」と執拗に迫ることを指します。中には「なんで見ないの!?あんなに感動するのにもったいない!人生の半分損してるよ!?」と根拠のない言葉でまくしたてるツワモノもいるそうです。どれだけ親しい間柄であっても気分が良いものではありません。

 確かにオリンピックは言葉では表しきれない多くの感動を与えてくれます。が、どれだけ大規模な大会であってもどれだけ注目度が高くても皆が皆同じ価値観を持っているとは限りません。そもそもスポーツに関心のない人、やるのは好きだけど観戦には興味のない人、見たくても見られなかった人等、それぞれ抱える事情は様々です。そういう人たちに対して「見てるよね!?」と詰め寄るのはもはや他人の家に土足でズカズカと踏み込んでいるようなもの。自分の熱量を一方的に押し付けるのではなく相手の温度に合わせ、もし反応が薄いようであれば深堀りせず話題を変える等の配慮は忘れずにいたいものです。

 「いやいや、そんなこと気にしてたら何も言えなくなっちゃうよ!」というのは「○○ハラ」に異論を唱える人たちの常套句です。確かに一昔前と比べると敏感な社会になったという実感は否めません。しかしだからといって本当に「何も言えなくなっちゃう」のでしょうか。大切なのは色んな価値観を持った人がいることを理解し、自分と相手、双方が互いの心情を察しながら会話をすること、折り合いをつけながら関係を深めていくことです。そのプロセスをないがしろにし「昔は良かった」「今は窮屈になった」と嘆くのは、考えることを放棄し「私は配慮のできない人間です」と公言しているのと同義です。

 自分の考え・自分の生き方・自分の価値観だけに偏らず、バランスの取れたニュートラルな視点を持つこと。その大切さを子供たちにも伝えていきたいと思います。